2006-03-01から1ヶ月間の記事一覧
「願い、願うこと」は、「願う、そして、願う、ということ」ではなく、「願い」と「願うこと」というふたつの語を併記したものだ。「願い」「願うこと」という方がわかりやすいかもしれない。
杜の都仙台の並木通り・定禅寺通りで行われている、うじまりさんの「ありが道(どう)〜新しい”ありがとう”の伝え方、提案します〜」を見に行く(3/12まで、問合せujiujiuji.oboetecho@ezweb.ne.jp)。 並木にわたしたひもに、誰かに向け手ありがとうを書い…
再放送をやっていると塾の子どもが教えてくれたのはいいんですが、正直もっと早い時間にやってくれないかと思います(ビデオこわれているので)。
第5回から見ているのですが、第5回が一番すごい展開だったみたいで、以後ずっとだらだらしているように感じられます。
塾の前に見に行ったので、全部見られるかなと思いましたが、1作品39秒ということで、案外短時間で見ることができました。ささきあつしさんのがシンプルで力強く、39秒という時間にもぴったりでおもしろかったです。
ちょうど中本作品の展示替えをやっていました。タールを使った黒の作品、つや消しの雰囲気のものがたいへん気に入りました。
今日は美術家開発好明氏が提唱する「サンキューアートの日」。各地でこれに賛同する企画が行われるほか、夜9時まで展示時間を延長する施設など多数。こちらをチェック。
12月の個展を見に行ったおりにいただいて、即刻まいたのですが、とにかく植物の育たない家なのであきらめていたのですが、かえってほったらかしにしておいたのがよかったのか、だんだん育ってきました。
3月9日(木)〜11日(土)夕方6時〜10時。仙台市青葉区霊屋下「霊屋第一コーポ101・103号室」にて開催。「room・(ルーム)」-部屋・場・空間・余地・機会-などに訳されるこの言葉をテーマに募集された39秒の映像作品が、バス通りに面したアパートの窓にルー…
ある区切られた地区の「願い」を集め、その中で願いの「交換」を行う。その地の、その時代の「願い」。そしてそれが「交換」されたということ。「願い」を通して町のかたちを感じ、町の色を知る。そうして数ある中に、しかしやはりひとつしかないこの私の願…
だからといって彼らが何かを願っていない、などということはない。 願い、というより願いごと、といった方がもっと問題がはっきりするだろうか。願いごと、夢。 それは「世界」と「私」との位置関係、特に未来へ向かってのそれなのではないか。 たとえば「夢…
子どもたちに「雲」をつくってもらい、それだけでもそれぞれあまりにちがった雲なのでおもしろいのだけれど、何か好きなことかいていいよという感じで進めていると、誰かが「漢字がうまくなりますように」と書き始めたため、別の機会にそれを見た子どもが、…
宮城県美術館エントランス・ホールで。演奏は中川賢一(ピアノ)、瀬尾和紀(フルート)。ジョリヴェ、メシアン、ブーレーズといったフランス現代の作曲家による曲目で、どうしても全部同じに聞こえてしまう。ふだんなら絶対聞かないし、おそらく聞くのが苦…
テルミンの演奏とグレン・グールドのドキュメンタリー(1本はNHKか何かで以前見たことがあった)を組み合わせた企画をせんだいメディアテークに見に行く。テルミンは音程があまりに不安定で演奏というにはかなりムリのある実演で、もしかしたらすごい楽…
私たちの意識が未来へと向かうとき、それは予想とか、予測とか、想像とか、そういったもの(だけ)で成立するものだろうか。私たちの意識が未来へと開かれるのは、何かを願うということを通してではないだろうか。そこにある差異――単なる予想、予測、想像と…
リブリッジ・エディット「アーティストシェア2005選抜賞展」のひとつ。2/28-3/5、11:30-19:30(最終日は-17:00)。リブリッジ・エディット(仙台市青葉区春日町5-27、℡022-221-9979)。 油彩で画布がつるつるになり、見る者の姿がうつりこむまで塗りこん…
願うとき、いったい誰に対して願うのだろう。あるいは、対象なく願うというのが願いなのだろうか。そしてその方向性をもった、あるいはもたない願いをともに願うということは、いったいどういうことなのだろう。願いがかなうように願うというのは、どういう…
こちらにもオープンしました。
死ぬほど寝ました。