願い、願うこと

akadowaki2006-03-06

子どもたちに「雲」をつくってもらい、それだけでもそれぞれあまりにちがった雲なのでおもしろいのだけれど、何か好きなことかいていいよという感じで進めていると、誰かが「漢字がうまくなりますように」と書き始めたため、別の機会にそれを見た子どもが、「これは夢を書くのですか?」ということになり、「雲」に「夢」を書いてもらうことにした(「雲」は4月、小布施の禅寺で展示する予定。小布施の子どもたちにも同様のものをつくってもらう。詳しくはこちら
そうして「夢」を書かせていると、これはたぶんかたよった調査結果からの誤った解釈かもしれないのだけれど、小さい子ほど正直に「夢はない」と言うような気がする。思うに、何かを希望したり、願ったりすることと、この「世界」の住人になること、将来に向けて視線が開けることは、つながっているのではないだろうか。何かを願うためには、あるいは願うということは、そういう立ち位置に立つということを意味しているのではないだろうか。私が願いの内容にはあまり関心がないのに、願うということにとても関心があるのは、そういうことなのかもしれない。あるいはそういう風にしてしか興味をもてないのかもしれない。