豊かさ

akadowaki2007-12-19

何を見ても、もっとすごいものを知っている、という対し方の中では、刺激の少ないもの、「新しく」ないものは豊かでないものになってしまう。そしてより刺激的なもの・より新しいものは、さらに刺激的なもの・さらに新しいものを増大させる通過点に過ぎなくなる。
そんな中で、よく知っているものや、見慣れたものを(量的にでなく)もっとよく知ったり、見ようとしたりする仕掛けをつくること、そこに価値が生まれるような差異を見出せるようにしていくこと、それが私の考える豊かさであり、まちでアートをしたいと思う理由ではないかと思う。
だからそれは、「アートを気軽に楽しむため」とか、「アートを日常のものにする」とかいう考え方とはかなり違ったもので、私は決してそんなことを願っていない。
アートはかなり知的な訓練を必要とするものだと思うし、そうしたことが日常になってはじめて楽しめるものだと思う。ただ楽しみたい、とかいう要望にはおそらくこたえられないのがアートであり、単にファッションやセンスのよさのようなものとして消費したい人にはまったく気軽ではないものだと思う。だから事情はまったく反対で、アートを日常のものにするには、日常をアートにする訓練やセンスが必要だと思う。それは気軽に楽しめるものというよりは、もうそれでしか楽しめないようなものだろう。
だから私は「アートで感性を磨いてほしい」とか「アートで生活を豊かに」とかいった啓蒙的な考えも持ち合わせていない。それは本当に、どうしてもそうなってしまうといった、いわば内的必然性とでもいうべきものを伴ったものなのだ。