秘密。自分にしかわからないこと。「真実」とでもいうようなものが「ある」。これは私というものが「ある」ことの素朴な根拠だろう。
しかしそれはまた同じようにして別の私があることを否定しない。私にもあるのだからあなたにもある。私一般とはそういうことだろう。そういう特別性。
そうではない特殊性について、私は知っている。
だが本当にそうなのか。それはそんな特殊性なのか。「この私」とは実際、秘密とか、私にしかわからない事実があるとかいった私一般のことなのではないのか。それ以外には何もないのではないのか。つまり、この問題は閉じられているのではないのか。私はそれが嫌なだけではないのか。
個々の私にしかわからないことはあるけれど、この私が常にこの私であるということの根拠や必然性のようなもの、あるいは偶然性のようなもの、それを何と呼べばいいのか。それももし一般的なものだと言うのなら、一般的でないものとはいったい何なのか。それこそが唯一個別的といえることがらなのではないか。
「この私」が「この私」であるということ。この私がこの私でなかったかもしれないという想定。それはひとについてもいえるのか。ひとがこの私だったかもしれない。そんなことが想像できるのか。それは私一般の想定ではないか。相対化されないものがあるとしたら、この点をおいてないのではないか。