願いと感謝

akadowaki2006-03-22

願いが、思いを未来へと向けることであるように、感謝は、思いを過去へと向けることだろうと思う。むろんいずれも今この現在から向けられたものとして。
私はあまり何かを願わない一方、ほとんど感謝もしないような気がする。先日、ありがとうの気持ちを書く機会があったが、願いごとを書く以上に困難だったことを告白せねばならない。
この世に生まれて来たことへの感謝の念といったものをいだいている人がいる一方、ではその正反対の人間なのかといえばそういうことではなく、単に私は「在る」みたいな思いでいるのだと思う。願いの内容や成就に関心がないのと同じように、私は自分やひとがどのようにして「在る」のか、どのように「在る」のかにあまり関心がないのかもしれない。結局どのようにしてかそう「在る」みたいに思っているのだと思う。だから願うという行為自体に興味をおぼえるように、「在る」ということ、あるいは「在る」ということになっていることにはとても強い興味をおぼえる。
たとえば感謝というのも、「在る」ということ、存在についての確認や表明の一種なのではないだろうか、という風にしか興味をもてない。目の前のできごとに対して反射的に感謝の意を表明することはできても、その場を離れて、何の文脈もなく何かに感謝することはほとんど困難である。でもこれは「正常」な反応なのではないだろうか(別にいわゆる「正常/反応」を区別したい意図で言っているのではなく)。