語りえないもの、アート

akadowaki2006-03-23

私は、「現代アート」という言葉で、何かある種のコミュニケーション手段のようなもの、広い意味では「表現」ではあれ、そういうものを想定していて、それが説明できたり、共有できたりするとき、その名でそれを呼んでいて、だから別にそれは「美術」や「アート」でなくても、あるいはらしくなくても、いっこうにかまわないもの、逆に私が「美術」であり「芸術」の名で呼んでいたのは、そうしたものではなく、この私にとってのみ意味をもつもの、それが美であるとか、真であるかどうかをひとに問う必要のないもの、ある意味「閉じられた」もののことであると、最近ひととやりとりしていて気づいたように思う。
それが本当に可能なのかどうか、あるいは美術や芸術の名に値するかといえば、それを問われないものとしてのそれであって、だからそれは美術や芸術ですらないのだろう。おそらく私が自分で「現代アート」という名で呼んでいるもの、ことこそが、一般にいう美術や芸術としてためされる遡上にあるものであって、私がその名で想定していたものは、何か結局は今・ここにないもの、誰にも見えない何か、「神秘主義的」な意味での語りえないものに過ぎないのだろう。