願い、願うこと

私は、願いごとの内容にはあまり関心がないだけでなく、それがかなうかどうかにも興味がないような気がする(というより、かなうかどうかに興味がないから、内容にも関心がないのだろうか)。
何かを願うとき、私はいったい何をしているのだろうか。誰にそれをかなえてもらうことを期待しているのか。おそらく私は誰にもそうしたことを期待しない。私はだから願いごとをしないのだと思う。願いごとを書いてくれといわれたら、私はすごく困るだろうと思う。だからほとんどの人がとまどいもせずに願いごとを書いていくさまにはびっくりするし、おそらくそれが「正常」な反応なのだろうと思う(別に私が「異常」だとかいうのではなく)。そしてだから私は「願う」というこの「当たり前」の行為に興味があるのかもしれない。つまりその内容にではなく、またそれがかなうかどうかにでもなく。