インタラクティブ」といった言葉を使いながら、結局「見せる人/見せられる人」はそのままになっているものの多さ。
自分にはできない、という事柄について聞かされるのは、チャレンジにつながるのか、自分の世界とは関係のないことになっていくのか。
私の原点にあるのは、結局それ、そこだと思う。「発信する人/受信する人」という風に世界が二分されていて、それは「インタラクティブ」とか何とか適当な言葉にごまかされて、どんどんそうなっていく。そういう状況を、「発信する人」は基本的に変えたいなどとは思ってないんじゃないか。ずっとそのままだといいと思っているんじゃないだろうか。
しかしそれのどこが悪いのか。それは私が「見せられる人」の側にいるからだろうか。
私は、誰にでもできることをやりたい。誰にでもできる、「地続き」の行為の中で、おもしろいことをやりたい。