現代アートの「現代」「コンテンポラリー」たるゆえんは、それが、これまでの文脈をすべて対象化し、並置されない一層上のレベルへと常に自らを位置づける運動をしつづけることにあると思う。それは線形の過去や未来に対する現代というような時間軸ではなく、常に自分以外、それ以外をすべて「それ以前のもの」としてとらえなおし、位置づけてしてしまおうとする手続きそのものをさしている。それが「現代アート」であるかどうかの本質だと思う。だからそれはきわめて解釈学的な運動で、ものそれ自体がどう、というのがほとんどナンセンスに見えるのは、そういうことなのだと思う。