〜の近代、とか、そういうことを考えていると、自分のこれまでやってきた、まちとアートの浅さ、に気づかされる。
綿密な調査にもとづく何か、といったものでなかったとしても、アートとしての深みのようなもの、それをきちんと表現できているか。表現しようとしているのか。
もっとよくまちの人の話を聞き、何かを浮き彫りにするような深みをもったもの。確固としたもの。ぶれないもの。私の中にあるものとの共鳴。それを取り去っても残るもの。
私はなぜ、アート、美術をやっているのだろう。それで何をしようとしているのか。何か、美術、ものをつくることには、ある種独特の感じがある。それが、私にはとても大切で、かけがえのないものに感じられる。それが、私のアートとのかかわりの大きなものだと思う。
それを、どうやってつくるか。何をつくるか、どうやってつくるか、そうしたスタイル、方法はあれ、何かをつくる、ということが、やはり原点としてあっての話ではないだろうか。
何かをつくる。しかし、逆につくらない、というのはどういうことなのか。消費する、使う、見る
つくる、とはどういうことなのだろう。今までなかったものをあることにすること。あらしめること。