向井山朋子 夏の旅 仙台プロジェクト

akadowaki2007-07-17

仙台はこの日、台風一過の翌日で、午前中少し雨が降り、その後も梅雨らしいしっとりとした天気の一日でした。会場となった総ガラス張りの「せんだいメディアテーク」1Fオープンスクエアは、杜の都・仙台のシンボルともいうべき定禅寺通りのけやき並木に面しており、開演の19時が近づくと、通りに面したビルやお店の看板、通りを行くバスや車のライトに灯がともり、建物の中にいてもそれらがすべて見通せる、まさに「まちの音」を目でも見られる会場でした。
大作曲家の古典と呼ばれる音楽と、現代に生きる私たちが、どのように関われるか、という思いから始まったという「夏の旅」。「私たちのシューベルト」を実現するため、入念に準備された会場は、白い大理石調の床の上に直接、鑑賞者と同じ目線でグランド・ピアノが置かれ、これを取り囲むように――ほとんど手をかけられるような位置にまで――オレンジ色のシュールな椅子が配置されました。
決定するまでに二転三転したため、開演前にスタッフが消防署の許可を取りに走ったというこの配置は、向井山さん本人の指示によるもの。配置の面白さだけでなく、前の席との間がたっぷりと取られて通常の会場のような何列にもぎゅうぎゅう詰めにされた圧迫感などみじんもなく、鑑賞がしやすいだけでなく、会場に入って来て席に着く人の通常とは違った動きや、鑑賞者どうしがよく見わたせ、その反応が直接伝わって来るのも楽しく、まさに鑑賞者をインスタレーションにしてしまった中で行われた演奏会といった感じでした。
会場が白とオレンジを基調としていたため、スタッフもみな白い服にオレンジのワンポイント。また、隣接するカフェで自由に飲み物を注文できるよう演奏会による貸切となっており、鑑賞者はアサヒビールを片手に演奏を楽しみました。
19時を少し過ぎた頃、向井山さんが入場、開演となりました。演奏される曲の断片は、耳にしたことのあるものも多く、「予習」してくればもっと楽しめたのだろうかと思いましたが、やがてそんな思いもつかの間、変化自在に演奏され、織り物のように編み上げられていく音の波に恍惚となり、その合い間にちりばめられる模様のようなまちの音――全国5都市で収集されたという足音や話し声、列車の音など――と時に競うように、時にそれを包み込むように「夏の旅」はつづきました。そして、突然の無。
やがて会場の外から仙台の生の街の音が立ち上がり、ジャストなタイミングで「せんだいメディアテーク」前のバス停を市バスが出発すると、曲もクライマックスへ向けて一気に駆け上がります。
台風の前に、すべり込むように仙台入りをしたという向井山さん。聞かせる/聞かされるという、コンサート然としたものに抵抗を感じ、どうにかして「私たちのシューベルト」を実現したかったと言います。企画を担当した吉川さんは、そんな向井山さんの演奏を、誰かの曲を聞かされるのでなく、聞いているうちに様々なものが胸中を去来し、「自分自身のことになる」演奏だと表現していました。
そうした相互理解の上に実現したコンサートは、裏方をいっさい見せずにただ「いいもの」だけを表に現したようなものではなく、まちの音を集めた方々の物語や、それを受け取ってひとつひとつていねいに聞いたであろう向井山さんのこと、企画をよりよいものにするために今日まであちこち駆け回ったであろうスタッフの尽力など、コンサートのもう一段奥にあるひとつひとつが、そこかしこに立ちのぼってきて、しかもそれが心地よく、たいへん新鮮で、リラックスしたものでした。演奏後に行われた「アフタートーク」の質問コーナーで、「質問」に立った人が誰も質問しようともせず、口々にこの企画がいかに新鮮で感動的だったかを延々と話す、というものだったことからも、それが私ひとりの思いでないことがわかるかと思います。
これはぜひともみなさん、向井山さんと一緒に日本を北上するしかないのではないかと思います。
ちなみに私は「夏の旅」の最終日である7月27日の札幌でのコンサートにも足を運ぶことになっています。そこでの演奏が仙台とどう違っているか、たいへん楽しみです。