道徳になる前の

先日、近くの中本誠司現代美術館でやっていた個展を見に行った。相原ゆかりさんという東北生活文化大の学生さんによるもので、ユニークな妖怪に見えるものをテーマにした作品なのだが、板に描かれた平面で、しかし妖怪が切り抜かれて背景より前に置かれていたり、空間性のある構成になっていて、何と言ったかシャドーボックスとかそういった感じのものだったのだが、なぜそういう風にしたのかとたずねると、前面に出ている妖怪の影になってからだの一部がかくれてしまっている妖怪のことがあるときかわいそうな気がして、全部を描いた上で重ねることにしたのだという。
私はそのときの気分がふっとその場にたちのぼったような気がして、すごくその気分がわかったように思った。それを「やさしさ」と言ってしまえばそうなのだが、おそらくそう言ったとたん、それは別のものに変質してしまう。そうなる前のそれ、そうしたいと思ったという感情や行動、そうしたものにとても興味がある。もっと言えば、道徳や規則や意味に定位される前のそれを表現できないだろうかと思う。アートにはそれができるのではないか。少なくとも私にはそういうものをもった作品がたくさんあるように思うし、逆にそうでないものはアートとしてどうなのだろう。
それはいわば、命とか、ある確実性の根拠のようなものなのではないか。