2006-09-12 わたし舟 考えたこと 時という流れの中を進む船は、みな同じ型から切り出されたもので、いわゆる一般的な私を表わしている。それを「世界」と言ってもいいかもしれない。 その中に、かわることのできない「私=世界」が一艘だけある。私=渡し舟。 しかしこれは誤った図ではないか。この外に、大きな船が一隻用意されるべきではないのか。しかしそれは視線の中には描かれず、まさにこの「世界」の限界であるという意味で、不可視のものとして想定されるべきもので、だから結果的に描かれず、つくられないのが正しいのかもしれない。