akadowaki2006-04-22

「アートなるもの」がまずもって在って、それをさぐりあてる、あるいはそれに応じて何かをつくり出すのではなく、さぐりあてたもの、つくり出したものこそが「アート」と呼ばれるのだ、という言い(卓見?)をしたくなるときがあるけれど、実はそれは結局その逆と同じことを言っているのではないか、あるいはもっと言えば、それらが相互に浸透し合う点に、私ではなく、「私たち」は、「アート」なるものを見ているのではないか。
原因と結果の円環が閉じるとき、それは原因が結果に、結果が原因になるときで、では原因なるものや結果なるものなど存在しないのか、といえばそれはまさにそのようにして存在している、と言うことができるのではないか。
逆にそのように言うこと以外に、これを正しく言い表わすことなどできないのではないか。