おもしろい、と思うこと

私とはこの私のことである、という自我の直証性みたいなものが重要に思えるのは、私が何かをおもしろいと感じる根拠が、すべてこの私がそう感じるから、というある種の「疑い得なさ」にあるからだと思っていた。しかしそれは「私は在る」「私はこの私である」と同じように確かなものなのだろうか。
私が何かをおもしろいと感じるのは、あるいは私が私をこの私であると感じたり、私が在ると感じるのですら、それは私が「世界」の中に「在る」からだろう。