自由

あき時間、アーティスト仲間の斉藤道有氏と偶然アーケード街で会い、マクドナルドでいろいろと話した(マックに入ったのは何年ぶりだろう)。
その中で、もうどういう流れからかは忘れてしまったけれど、何かを投げかけられたら、それにこたえる必要があるだろうという話になり、私もそれに同意したのだけれど、しかしそれでもこたえない自由もあるのだろうと思う。
誰かが困っていて、助けを求められたら、みんながそれにこたえるのが「いい」社会だと思う一方で、しかしそれでもそれにこたえない自由があること。しかもそれは助けない理由、一般的に何らかの同意が得られそうな理由のようなものがあってのそれでなく、ただ単にこたえたくないというだけでこたえなくともいい自由。そういうものは「本当の」自由ではない、といった言い方をする人もいると思うけれど(いるどころかそっちの方が断然多く、しかもその方が社会としては「いい」社会に間違いないとは思うけれど)、しかし私はそういうものこそ真の意味での自由なのではないかと思う。
だからどう、というのではなく、もちろんどっちが「いい」とかいうのでなく、そしてそういうことを離れてこんなことを語ることにはあまり価値はないのかもしれないのだけれど。