アートセンター円卓会議

せんだいメディアテークを中心に、宮城県美術館、リアスアーク美術館、せんだい演劇工房10-BOX、宮城教育大学東北工業大学NPO法人リブリッジなど、仙台および近郊の文化機関や大学が相互協力関係を結んで視覚芸術振興に関するさまざまな活動を行うアートプロジェクト「せんだい視覚芸術振興くみあい―SCAN:Sendai Contemporary Art Network―」の企画「アートセンター円卓会議」を見に行く。
「コレクションを持たない「美術館」であり、芸術ジャンルを越えた創造拠点」として「アートセンター」をとらえ、全国9箇所のセンター・美術館からディレクターやキュレーターを呼んで、各センターの紹介や問題点をディスカッションするというもので、出席者は、国際芸術センター青森:真武真喜子(主任学芸員)、トーキョーワンダーサイト:今村有策(館長)、BankART1929:池田修(副代表)、アーカスプロジェクト:帆足亜紀(アーカススタジオ)、京都芸術センター:多胡真佐子(コーディネーター)、神戸アートビレッジセンター:木ノ下智恵子(美術プロデューサー)、山口情報芸術センター:阿部一直(学芸課長)、リアス・アーク美術館:山内宏泰(主任学芸員)、せんだいメディアテーク:佐藤泰(企画活動支援室長)にコメンテーターとして菅野幸子(国際交流基金情報センター・プログラム・コーディネーター)と司会の新田秀樹(宮城教育大学教授・SCANプログラムコーディネーター)の各氏。
いろいろおもしろいお話が聞けてよかったのだが、何より思うのは、きっとばかげたことなんだろうけど、自分の作品を展示したりするわけでもないのに、いろいろがんばったりあれこれ考えたりすごいなぁということで、私も作品をつくる場づくりにはすごく興味があるし、むしろいわゆる作品は場のためのささげものやいけにえみたいな気すらしているのだが、しかし自分がつくらないのにその場に観客以上のかかわり方をしたり、努力をしたりしようとするかといえば、きっとしないと思う。どうして自分で作品をつくらないのに場づくりをしようと思うのだろう。あるいは、場づくりをした先で、どうして自分でも作品をつくろうと思わないのだろう。別におかしいとか、こうすべきだというのではなく、すごく不思議に思う。それともみんなつくってるのだろうか。
お話の中では、リアスアーク美術館の開館数年目から予算が5分の1以下にカットされ、いいかげんやっていられる額ではないのだが、かえっていろいろ考え、それによって地域とともに文化祭を開いたりして入館者が増え続けているというのが地味な話ながらおもしろかった。
長野の中学校で行われている「とがびプロジェクト」は予算は数万円という、「常識的」に考えるとこれほど非常識な額もないようなものですごくおもしろいことをやっていて、しかもそれがアートセンターとか経済と文化の共生とか何とか言うこともなく、ただ淡々と「生徒に美術を好きになってもらいたくて」というひとことですべてまわってしまう。でもきっとどんなものもそのはじめにあるものは、そういうものなのではないだろうか。