虹と現代アート

虹について、やっと今になってあれこれ調べているのだが、虹はいわば残像なのだそうだ。言われてみればその通りで、落ちてくる水滴が、ある一定の位置を通過するたびに射出する光が虹であって、いわば滝が次から次へと落ちてくる水によって滝としての体をなしているように、虹のある部分の光は、一瞬の後には別の水滴を通過した光なわけだ。
以前私はこのような滝のあり方を私の考える現代アートになぞらえたが(こちら)、図らずも虹もそのようなあり方をするもののひとつだった。しかも虹はさらに進んで、太陽光(など)の屈折と反射によって現われるものであり、言ってみればあるともないとも言えないようなもの、それはこちらのあり方によって決まるもの、あるいは、屈折や反射といった視線のずれによってはじめて明らかになるもの、それがどうして見えるのかはたとえば原理的にはある程度つかめたとして、それによってすべてを説明することは、いろいろな意味でいつまでも困難なものでありつづけるものとして、私にはとても意味深く感じられるもの、感じられるものになった、そしてなおなりつづけていると言えると思う。別に比喩的な対応関係を根拠に何か結論のようなものを導きたいと思ってはいないけれど、豊かな物語のひとつとして、おもしろいと思う。