身分制や固定的な権力

白石川

江戸時代は身分制だったとか、幕府や藩という権力がとか、そういう固定的なとらえ方が全部間違っているとか、意味がないとかいう風には思わないけれど、全然興味や関心をもてないとははっきり言える。
たとえば、身分制があって、武士は武士であること、その身分らしさを保つこと、その状態にあることが大切であり、近代的な社会、すなわちそうした身分制やら共同体の規則を前提しない個と個の遭遇が生まれる世界とは別の世界であった、みたいな模式的な世界観の把握の仕方は、わかりやすいしその分説得力があるのだろうけれど、ではその説得力を使って何をしようとしているのだろう、という方が大事だろう。
どんなに共同体的な社会であっても、それらしさからはみ出そうとしたり、思わずはみ出してしまう個なんて当然のことながらざらにいることだろうし、逆にどんなに共通のルールを前提しない個と個の出会いとかいっても、人間である以上おのずと共同体的な要素はありうるわけで、そうした予期せぬずれとか、模式図に書き込まれることを拒否してしまう何かとか、逆にたのんでもいないのに自分の役割をきれいに演じてしまったり演じようとしたりすることこそがおもしろいし、またそうした事態をうそくさいものや例外みたいに扱おうとしたがったり、あるいはその逆だったりというとらえ方自体も関心を向けられるべきおもしろい分野なのではないかと思う。