印象、愛情や信頼、物語

リブリッジ2日目

よく、第一印象とかいうことが言われるし、よくわかるのだけれど、そうしたことで何かを嫌いになったり、つまらないと思ってしまうのは、本当にもったいないことだと思う。
というのは、昨日からはじまった個展では、「個展」といいながら、希望者とともに共同制作をしたりしていて、たとえば出来上がったものを見るのと、まだできていないところ、それもはじめたばかりで方向性もなく、あれこれみんなで(やっている人は楽しく)やっているところに、来たとたん出くわすのでは、大きく印象がちがうだろうなと思う。もちろん、そうした制作過程を見せることも一部なわけで、それを見られてよかったと思う人もいるだろうが、どうなのだろう、そう思えるには、おそらくその作品への愛情や信頼、つまりは余裕のようなものが必要なのではないだろうか。それをはじめて見る人に求めるのは難しい、というかむちゃくちゃな話だろうと思う。そしてそれを、私の個展だから言うわけでもないのだが(とはいえそれがなければこんなに強くは思わないだろうが)、もったいない気がするわけである。
というわけで、個展二日目は、午前中からお昼過ぎにかけて、壁に立てた流木に流れるようなラインでもって毛糸を結んでいく展示を私がひとつつくり、夕方からふたりの共同制作者とともにはじめての共同制作作品を仕上げた。ふたりは私が以前とある塾で小学生や中学生の頃に教えていた女の子たちで、ふたりとも大学に合格してこの春からそれぞれひとり暮らしを始めるそうだ。ひとりはずっと書道をやってきた子なので、書道の道具を一式もってきてもらい、毛糸を結んだ後、大きな紙にいくつか字を書いてもらう。これを毛糸とともに展示して、できあがったころにはすでにかるく2時間を過ぎていたのだが、つくり始めにだけいあわせた人には、思いもよらないものになったように思う。
この、「物語」とでもいったらいいのだろうか、はじめとおわり、特に終わり、終了、完といった感じ。それが与えられることによって、経過が作品になる。あまりにそれがそれらしすぎると、あるいは慣れてしまって、どうやってもそれに終わりを、つまりはつじつまを与えられるようになると、俄然つまらなくなってくるのだろうが、そういうもの。しかし共同制作である以上、ある程度は必要なものなのではないかと思えるその物語性。
ところで、明日の地元紙河北新報の夕刊に私の紹介記事が載るそうなので、興味のある方はぜひどうぞ。