「デカルトのコギトは「可想的な存在としての自己」と「経験的な存在としての自己」との分裂をうちにふくんでいる」(池田雄一『カントの哲学』) 私はこれを、「私」は、「私一般」と「この私」との分裂をうちにふくんでいる、という風に読んでみた。「可想…
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