コミュニティアートとは

コミュニティアートとは、ツールではなく、ソウルである。コミュニティアート・ふなばしの下山さんと今日、電話で話し終わった後、気づいた。私は言ってみれば何もわかっていない。コミュニティアートとは、社会をどうにかしたいという気持ち、こころざし、実際の行動のことであって、コミュニティというシステムをどうこうするための方法論ではない。
どう生きていけばいいんだろう、どうしたらいいんだろう、というところからは答えなど生まれない。なぜこんなことになっているの、どうにかしなきゃ、という無我夢中の取り組みそのものが、生き方なのだ。それは方法ではない。それそのもの。何かを何かに置き換えるのではなく、それ自体、それそのものを投げ出すものである。それ以上にリアルなものなどない。
私はいつになっても、自分がどうしたらいいのかばかりを気にかけている。自分が何なのかを、どうなのかをばかり、気にしている。そこに答えなどない。私はいつになっても、リアルに届かないだろう。何かを何かに置き換えるような生き方しか、できないだろう。