おそらく、「この私」にとってそれはどんな意味があるのか。「この私」にとってそれがどうなるのか、という視点からものをながめているがゆえに、私はいきづまっているのではないか。
「この私」を超えてものを見ようとしない限り、それはいわばモノローグであって、結局はすべてが分析的に導かれる閉じた世界に過ぎないのではないか。
「この私」ではない「誰か」を通してものを見ること。