私はなぜあることをし、あることをしないのか。それは何か損得勘定のようなものなのか、それとも倫理的なことなのか。
それはものをどう見るか、見せるか、によっている。なら、それは何がどう見せているというのか。
価値は交換によって生じる、という考え方。
それはたとえば、このめんどうをひきうけることによって、ある価値を得る、ということだろう。
それは私の世界をある状態にあらしめるため、私があることをあることとして引き受けなければ、私が私を正しいものとしてとらえることができない、維持できない、ということだろうか。
そういう地点ら「私はなぜあることをし、あることをしないのか」を振り返った場合、最初の問題の立て方が間違っていたことに気づく。それは損得勘定なのか、倫理的なものなのか、ということではなく、私の世界がどうなっているのか、ということなのだと思う。