私は、自分がやりたいことをしたい。そのやりたいことというのは、では何なのか。
ひとと、何かを分かち合って、それが喜びと感じられるような自分になるためにできること。
ではいったい何をすればそうなるのか。
町内会活動とか、地域コミュニティの活動のような、何かそういうことがしたいということになるのではないか(正確には違うが)。
しかし、地方都市の賃貸マンションに住んで、たいしてひとと関わることもない短時間で終わるような仕事をして過ごしているこの私にとって、それは日常ではない。
だから、過疎地や商店街に出かけて行って、町内会活動のようなものの中で生きることを余儀なくされている人たちといっしょに何かをする、という擬似的に強いられたコミュニケーションを体験するということは、私に欠けたものを補う何かなのかもしれない。
まちでアートをやる、というのは、お互いにそうした欠けたもの、失ったものを補ったり、取り戻したりする場なのではないか。
だから、まちでアートをすることからは、それ以外のことを期待するべきではないのかもしれない。というより、正しくそういう場なのだとわかることが求められているのだと思う。