アートはキケン

「次は何をやるのか」と聞かれたので、毛糸で大きな鳥の巣のようなものをつくり、はしごか何かをのぼって中に入るようなものを考えている、と話すと、「はしごはキケンだから、誰もが安全に中に入れるようにしたらどうか」といった感じのことを言われたので、アートはキケンなものなので、安全に見たい人にはおススメできない、とこたえました。
別にわざとキケンにしたいわけではないんですが、どうして安全に見たいと思うのかわかりません。おそらくつくる方は、見る方の何倍もキケンなことをしていると思います。
「見せる側/見せられる側」という関係性が嫌で、これを「誰にでもできること」でなし崩し的に転覆させていきたい、というのが、私がここのところ考えていることなのですが、「見せる側」がインタラクティブとかいいながら、結局常に「見せる側」にいようとするように、「見せられる側」も、常に安全なところで「見せられる側」にいたいのかもしれません。それとも「見せられる側」ではなく、「見る側」なのでしょうか。