自我と幸せ

akadowaki2008-03-08

「私」は「他者」を前提として成立するものだというだけでなく、その成立の仕方、つまり反復する視線の照射こそが問題だ、とするならば、「幸せ」とか「成功」についてもそれがいえるのではないだろうか。つまり、他者の欲望を欲望するような状況があったとして、それがある、ということだけでなく、それがどのように反復し、照射し合い、いわば「支えあっている」のか。
そしてまた、そうした「私」という役割や、求められる「幸せ」「成功」から自由になるために、そこから距離を置くこと、すなわち「役割距離」も、結局は求められる「私」や「幸せ」「成功」を基点とした上でのそれであるというのなら、アートにとっての役割、立ち位置は、まさにそのずれた「私」、ずれた「幸せ」や「成功」をいかに上首尾に描き出し、演じるか、さらには演じたことを演じてみせるか、それを見せることができる場所にいるか、連れていけるか、ということになるのではないだろうか。しかもそれを軽蔑したり、おどけてみせることなく、あくまで真剣に、これ以上ないほど明晰に。