akadowaki2008-02-23

「リッチで新しくてブランドに満ちたまちづくり」がしたいし、それを「豊か」だと思っているけれど、実際、お金もないし、根性もないし、みんな年取ってきたしで、そういう「豊かさ」はムリだから、「今あるものを見直す」とか「スロー」とかいうのを「豊かさ」だと偽って地味ーな「まちづくり」をやっている、というあり方はねじれている。まだ「ショッピングモールがいい」とか「ビッグネームが一番」とかいう方がずっと健全だと思う。
そうした抑圧された「豊かさ」から自由になって、「これでもいい」ではなくて、本当にばかみたいに正直に「これがいい」となれたとき、それがリッチで新しくてブランドに満ち満ちているか否かにかかわらず、また「豊か」かどうかさえどうでもよく、「求めていたもの」になるのだろう。逆に言えば、それまで、つづくのだろう(そしてそれは、「アート」でもおんなじだろう)。
そうしたねじれた欲望を描いたり、示したりして、反転させる契機となれるかどうか。そうした他者性を、もてるかどうか。
先の見える閉塞感から、先の見えない不安=期待へ。