akadowaki2008-01-01

自分にとって何が切実な問いか。言い換えれば、自分にとって何がいまだ経験せずにのこされているのか。
私はいったいどうすべきなのか、と、私はどうしてもこうなってしまう、とは、一対のもののように思う。
それがつながる点こそが、私の人生の目的、私は何をまだのこしているのか、ということではないだろうか。だからそのふたつは、反対の方向を向いているようで、同じ点から出、同じ点へと収束していく。
私は何をまだのこしているのか。それはひととの関わり方にあると思う。私はひとに関心をもたない。私の関心の延長にしか、ひとに関心を持てない。そして私はひとに心を開けない。おそらくこのふたつは同じことだ。私はひとに心を開けない。開かないから、ひとに関心をもてないし、だからひとに心を開けない。
だから私のアートによるまちとの関わり方も、モノとしてのアートをつくることが主ではなく、そこに関わる人とどう関われるか、ということが主題である。どれだけひとに関心を持ち、心を開いて接することができたか。それが私の「まちとアート」の成果をはかる尺度だと思う。
私は、私のそうした「課題」のため、私のその経験をひとと分かち合うことのために「まちとアート」をやっている。それはきわめて個人的で、小さな、私と、私に関わる人の間でしか意味のないようなことで、私はまさにそうしたことをしたいのだ。
モノづくりからコトづくりを経て、ヒトへ。モノもコトもなく、ただヒトしかいない、しかしこれ以上ない場、へ。