アートの目的

アートの目的=心の救済だとすれば、誰の心の救済なのか。たとえば、自分にしか意味のないアート作品をつくることは(そんなものができるかどうかは別として)、自分の心の救済のためということであれば、確かに目的にかなっている。が、その「自分」「私」というものが、他者がいてはじめて立ち現れるものであるなら、やはり自分にしか意味のないものとか、自分だけの救済ということはありえないことになる。それはやはり、「私と他者との」あるいはばかばかしく響くけれども、「みんなの」心の救済なのだと思う。
たとえば、自分にしか意味がない(ようにみえる)作品をつくること、自分以外の人にもある程度わかる(ような気のする)作品をつくること、自分以外の人とのかかわりの中で何かをつくること、自分にもわからない何かのために誰かといっしょに何かを打ち破っていこうとすること、やってはいけないことになっていることをやってしまうこと、それによって何かが救われたとき、それはだれを救済したことになるのか。