「この私」を不問にする

「この私」とか、「私にしかわからない何か」といったものは、ひとにはわからないからこそ成立するもので、逆にわかってしまったら意味がないわけだから、それをとりあえず不問にしてみる、ということ。
それは別に「この私にしかわからないもの」などというものは存在しないとか、「私的言語」が〜とかいうことではなく、またそれについていつまでもぐるぐると考えることが無駄であるとかいうのでもなく(実際それはすごくおもしろい)、とりあえず置いておく、ということ。
それはアートでいえばどういうことなのだろう(そう考えたときにわかるけれど、アートというのはすごく境界線的だ。それは考えるだけでなく、モノとして出すことができてしまう)。