2年目の「とがびプロジェクト」

akadowaki2005-10-19

今年2回目の「とがびプロジェクト」が終了し、昨年第1回目の「とがび」では見えていなかったこのプロジェクトの本当の姿が見えてきたように思う。それは、真の意味でのインタラクティヴ、双方向性ということにあると思う。
昨年第1回目の「とがび」は、「中学校を美術館にしよう!」という趣旨のもと、長野県内のアート作家はもちろん、中平千尋教諭のコネクション、特にドイツ在住の現代アーティスト増山士郎氏のつてで長野県外から多くのアート作家が参加して実現した。この時点では、作家作品の展示を手伝うというかたちでの生徒たちの作品への関与はあれ、生徒たちに与えられた「キッズ学芸員」という名称はどこか大げさであり、生徒たちは全面的に鑑賞者としての位置に立たされていたと思う。
しかしこの「アート作家=制作者/生徒=鑑賞者、サポーター」という図式は、2年目の「とがび」にいたって大きくさま変わりする。つまり、1年目において、中平氏の呼びかけに応じて参加表明をしたアート作家のほとんどを受け入れた「とがび」は、2年目においては、生徒たち「キッズ学芸員」が、自分たちの見たい作家、自分たちがいっしょに制作に関わりたい作家を選び、これに出展を要請するかたちで作家のセレクションが行われたのである。生徒たちは1年目に参加した作家のみならず、雑誌や携帯の待ちうけなどで人気の作家など、自分たちが呼びたい作家へ直接手紙を書いて、「とがび」への参加を要請したという。
その多くからは返答も来なかったとはいえ、ここで「とがび」は大きく変わった、あるいはその本来の姿を現したと言える。それは制作者と鑑賞者が「見せる/見る」という絶対的な位置関係に置かれている状況を、あまりに鮮やかに、そして軽々と超えてみせた一瞬ではなかったかと思う。
つくる側からすれば、生徒たちに選ばれたから、あるいは選ばれなかったから、アーティストとして、あるいは作品としての質が問われるということはないかもしれない。それは単なる好みや人気といったたぐいのものなのかもしれない。しかし見る側からとってみれば、自分の好きな作家と直接やりとりをしたり、その作品をつくってもらったり、送って展示してもらうことは、「作品の質」とか「アートとしての…」といった外的要因のいっさいなど軽く超えて、うれしい、楽しい、おもしろい、やっててよかった、もっとやりたいという強烈な感情、それこそこれ以上ないほどにアートとリアルな双方向的関係を取り結ぶ究極的な手法、位置関係なのではないだろうか。
自分たちは単に見るだけではなく、好きな作家に出展や制作を要請することが「できてしまう」。そうして作家と関わることが「許されている」。そしてそれは何も特別なことではないという感覚。見たい、知りたい、つくりたい、すごい、おもしろい、何だろこれ? そうした原初的な欲求と感情、つまりはアートがその上に成立している最も原初的なリアルさのゆえに、それはアートとともにあり、美術館やギャラリーに代表されるような、制度としての「アート」を成立させているさまざまな外的要因に寄与しない、あるいはほとんどそうしたことにはおかまいなしの、あまりに健全な志向性。それを「とがびプロジェクト」と呼ぶとすれば、それはまさにアートの激震地と言っても過言ではないのではないだろうか。
今後、こうしたあり方を中学校だけでなく、町へ、そしてもっと広い場へつなげていくことで、アートはもっとリアルなものになると思う。そしてそれは必然ですらあるように思われる。アートはどこか遠くの、自分にははかり知れぬところで営まれる何かなどでは決してなく、すぐそこで起きていること、関わろうと思いさえすれば拒まれることなく誰しもが関わりをもつことのできるもの、掛け値なしにすばらしいもの、それを感じたい、参加したいと思えば常に扉は開かれてあるものなのだということ。「とがび」はそうしたものとしてのアートの扉を開こうとしているのではないだろうか。