後藤克芳の世界

山形美術館へ「アートするこころ 後藤克芳の世界」展を見に行く。たいへん、感銘を受けた。
ミスターGOTOについては、今回はじめて知った。ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの一員として活動した後、64年に渡米、主にデザインやポップ・アートの方面で仕事をし、永住権を得、2000年に死去。今回の展示作品はほとんどが未発表作品であるという。
私ははじめこれらの作品群を見たとき、いったいどう見ればいいのかわからなかった。いわゆるアメリカ風のけばけばしい日常品を巨大化した「ポップな」立体が並んでいて、見た目にも楽しげなのだが、本当に、何がどうなっているのかわからないという気分でいた。わからない、といっても別に不安であるとかそういうことではなく、何がどう作品なのかわけがわからない、という意味でのそれである。
それがほとんど空恐ろしいほどの脅威にも思えてきたのは、10個目くらいにあったカエルまで来たところで、キャプションにはいずれも「木、アクリル」とか「木、油彩」とかあるのだが、それを私は美術館の手抜きだと思っていた(実際、縄を用いている作品があるのに、それは記載されていなかったということもあって)。どう見てもプラスチックかFRPみたいなもので成形し、それに塗装したとしか思えないオブジェで、きっと台座やらが木だから木と書いてあるんだなぁと思っていた。しかしそのカエルのオブジェはおそらく保存状態が悪かったためだろう、数箇所壊れていて、ようやくこれらの作品群が、着彩された木彫であることに私は気づいた。大げさに言えば心臓がとまりそうなほど、びっくりした。それは作品がとてもリアルで、優れていたからだけではなく、こう言うとまったく僭越ではあるけれど、まさにこれこそ私もやりたいと思っていたことだったからだ。むろん、まるっきり、というわけではないけれど。
毛糸のインスタレーションをつくる一方、私は毎年コンスタントに板や流木、枕木やレンガといったものを、紙粘土とテンペラでつくっている(こちら)。それはひとつには、ある対象を別の素材に変換する、もうひとつつくるということが、絵画や立体作品の基底にある姿であり、そのしぐさだけをほとんど無意味に取り出すことのおもしろさをどうにか表現したいと思ったからで、それらは私にとってはいわば立体面に描いた絵画である。
ミスターGOTOが絵画から出発していながら、立体へ、しかしいわゆる立体ではなく、それに着彩するという方法をとったのは、もしかしたらまったく間違っているかもしれないが、そういう意味で私にはよくわかる。絵画は絵具を使ってあらゆる素材を再現できてしてしまう、というかしてしまう。その機能みたいなものを直截に提示しようとしたら、こういうことになるのではないか。そしてミスターGOTOのすごさは、その再現能力がいけるところまでいってしまっているところである。もうそれは木と油彩、木とアクリルではありえない。
私がこのGOTOの偉業、もうほとんどこの方面でできることはすべてためされてしまったかのような作品群を前にしてなお、私の作品を提示する余地があるとしたら、それは彼の選んだモチーフ、そのポップなアイテムが、私にはあまり興味がないというところにあるだろう。私はああいうものはつくらない。朽ちた木や流れ着いた木、石といったものをつくりたい。もっとどんどん、しっかり、つくっていこう。
本当に、すばらしい先達を知ることができた。
同じ山形美術館の3F会場では、「生まれるイメージ」と題した、山形ゆかりの現代アート風の4人の作家による展示が行われていた。私はテープを使った吉岡まさみとレリーフ様の支持体にアクション・ペインティング風の油彩を描いた花澤洋太両氏の作品がいいと思った。いずれも空間の把握の仕方にひかれるものがある。