教育とか

たとえば教育、みたいなものについて考えてみると、それは「われわれ」へと招き入れる手続きみたいなもので、それによって「私」は「われわれ」にさせられてしまうわけだけれど、それと同時にそれを通してしか「私」も生じない、と思う。つまりそれは「われわれ」へと同化させるものであると同時に、「われわれ」から分かつもので、そうした相反する面がいわば同じものとしてとらえられること、それもそういう例には枚挙にいとまがないこと、あることがらとあることとは1対1で対応などしていないこと、そうしたことが、すごくおもしろい。