くりんこくん

KU・RICH(クリッチ)

長野県小布施の禅寺で4/16-17に行われる境内アート苗市に出そうと思っているもののひとつ「くりんこくん」(プランはこちら)を私のやっている塾の子どもたちと休み時間などを利用してつくっているのだが、だんだんいいかたちになってきた。
そもそも「くりんこくん」とは何かと言えば、あなたがその名前でそう呼ぶものの名称である。その名前からすぐキャラクターなどが思いつくのだけれど、私はだいたいキャラクターみたいなものがあんまり好きではなく、それはおそらくオリジナリティみたいなものと関係しているかもしれない。つまり、「ドラえもん」とか「アンパンマン」と言った「オリジナル」キャラクターは、そのオリジナルさゆえに、「真正さ」みたいなものが設定されてしまい、作者以上にうまい人がいてもそれは限りなくオリジナルに似ているけれどもオリジナルでないものにしかなりえない。ましてや記憶や何かをたよりに描かれたそれはまがいものでしかなく、どんなにいい味を出していてもその基準に照らした何らかの評価を下されてしまう。
そこで私は「くりんこくん」という固有名のみを設定することを思いついた。あなたが描いたものが「くりんこくん」になる、というわけである。これはどうなのだろう、難しいかもしれない。しかしときどきこうした「課題」を出されているうちの生徒は即座に飲み込み、「じゃあこのコーヒー牛乳のパックを描いて「くりんここん」にしてもいいの?」などと鋭い質問をしてくれる。
とはいえ最初はただ栗のかたちに栗っぽい顔を描いている子どもが多かった。それが日をおいてふたつみっつとつくるごとに、その「本来性」みたいなものから脱線していき、わけのわからないものへと進んで行く道すじがおもしろい。たとえばあるとき、ある子どもが自分の携帯電話を描きたいと言い出した。私はてっきり「境内アート」だから携帯を描くのだと思い、「オヤジギャグだな」と評したのだが、本人はそういうつもりはなかったらしい。しかしこれを見ていた面々にはたいへん受けたらしく、いくつかの「携帯(電話)アート」ができあがった(クリアボタンの「クリ」が赤字になっていたり)。
また、今さらながらにタマゴッチをやっているごくまじめな子どもがいて、私がそれを何か使えないだろうかと水を向けると、KU・RICH(クリッチ)なるものを考え出し、「アートを見に来てクリっち」とか書いているではないか。
しかし「ではこれはアートか?」と問えば、どうなのだろう。そんなこと、どうでもいいとこたえるのが大方かもしれない。