有限のものから無限のものを

有限のものを用いて無限を表わし、それを知ること、感じることができるように、認識できずとも、ある方法を用いて、ある語りえないと言われるものについて理解することができることの不思議。
たとえば、限られた数の例文しか学習しなくとも、ほとんど無限とも思える文をつくることができるということ。確かに無限に文を語り尽くした人はいないわけだから、それが無限につづくとは言えない(どこかで終わるかもしれない)という人もいるかもしれないけれど、そんな懐疑よりもずっと説得力をもってそれは無限(らしさ)を私の前に顕現する。そして同じような経路でもって、私は認識できないものの存在を理解することができるように思う。認識できないものの「存在」!
でもそれはとても普通の出来事ではないのか。私がもっと素直な人間であったなら、もっと早くそれを知ることができたのではないのか。そして私でない多くの人は、それを当然のこととして受け入れているのではないか。