流れと願い

三上紘司さんに書き込んでいただいた掲示板の言葉、
 「流れ」とは天の決めること。
 「願い」とは人の決めること。
 願いがかなうかどうかは天の采配。
は、読んだ当初あまりその意味がわからなかったのだが、実際に取り組んでいく中で、だんだんとその真価が理解できてくる。
この「願い/流れ」「人/天」という対立軸を、他の対立軸、「ことば/もの」「都(文化)/市(商い」を通して見ていき、これらを実際の展示地点へと投射していくと、場所がどのような展示を要請しているかがわかってくる。
たとえばお店とからめて展示していくものは、三上氏の言葉でいうなら、「人の決めること」であろう。そこでとりあげられる文章は、おのずと人間の営みの中から浮かんでくるもの、そこに生きるわれわれの喜怒哀楽がうたわれることになろう。
逆にお店とはかかわりのない場所、たとえば共有のスペースである横丁の水場や通路、アーケード街の柱や並木は、「天の決めること」、われわれの意図をこえたことがらがうたわれる。
「対立」と言い、それぞれの場所を「分ける」ようなことを言っているが、それは両者を対立させることや、分割したり分類したりすることを主眼としているのではない。それらは重なり合い、響き合いながら、ひとつのうねりとしてその場を包み込んでいる。だからそれは「采配」なのだ。