ロジアート

願うことサンプル

雨のちくもり。
仙台のアーケード街のひとつである一番町の一角に、とても風情ある場所がある。それはいろは横丁や文化横丁と呼ばれる狭い路地で、昔からある飲み屋やお店に加え、近年はおしゃれなお店もぞくぞくオープンし、レトロで猥雑、リアルでフィクショナルな、一種独特の雰囲気をかもしだしている。
毎年8月6〜8日に行われる東北三大まつりのひとつ仙台七夕のおり、この路地で「ロジアート」なる企画が行われ、私も出品しようと案を練っているところ。説明会に行けなかったので送ってもらった資料をもとに、路地裏を歩く。
もともとこの界隈は私のやっている塾のすぐ近くで、私が好んでコーヒー豆を買いに行く自家焙煎の店「デ・スティル・コーヒー」や、別にそんなに好きな雰囲気でもないのになぜか入ってしまう喫茶「エビアン」、妻の知り合いの店「遇太郎」など、驚くほどなじみの場所ではある。
企画では、展示させてくれるお店を自分で見つけ、交渉し、期間中に展示する、というもので、ひとり(1グループ)一件が原則だという。
私にはすでに別口で、アタマの中では進んでいたアイデアがあって、それは上にあげた「デ・スティル・コーヒー」という存在を物語化するものだった。つまり、そのコーヒー豆販売店の焙煎所は、私がよく石を拾いに行く広瀬川上流、新川の地にある。そこで毎日焙煎された豆は、川とともにくだり、仙台の街へとやってくる。広瀬川といえば、仙台の代名詞とも言うべき美しい川だ。そしてこれに七夕という物語が加われば、天の川、願い、運ぶ、伝える等々、容易に物語を生み出すことは可能だろう。
しかし狭い路地に立ち並ぶ小さな店の並びをながめていて、私はふと思いつく。仙台七夕は、七夕かざりがアーケード街にえんえんと飾られ、それを観客が歩いて見てまわるものであり、今ひとつまつり特有の活気に欠けるところから、たとえば「静的」といった評価をされたりする。そこで「動く七夕」とか言って、トラックに七夕かざりをのせたものを移動させたりという苦肉の策がひねりだされたりするわけだが、物語の語りようによっては、見る者がひとつの流れ(天の川)となって、まつりそのものを演出する装置となっている、と詩的な評価をすることもできよう。つまり、このまつりの眼目は、「静的」な七夕かざり(織姫・彦星、仙台という街、デ・スティル・コーヒーという点)をめぐる「動的」な視線の移動(天の「川」、時間=一年間、星々の発する光の移動、広瀬川、焙煎されたコーヒー豆)にあり、それゆえに何かを展示するとすれば、七夕かざりがアーケード街に沿ってえんえんとつづくように、路地裏に沿って切れ目なくつづいていかねばならない、つまり視線の移動をうながすようなものでなくてはならないように思える。ひとり一店舗、という限定がネックになる。
私が思いついたのは、路地に沿って点々とつるされたり、置かれたり、はりつけられたりする展示、たとえば今日の写真のようなものである。どうだろう。
それは、その成り立ちからしてとても詩的なものになるだろう。たとえば私がつくっている枕木やレンガが、モノから立ち上がるものをとらえたい、というところからはじまっているのとは対照的に。