石膏を塗る

東京コンペに出すの(これ)をつくろうと、DIYショップにベニヤ板と角材を買いに行く。それほど大きくもないのだけれど、車に乗らないので軽トラックを借りてアトリエまで運び、前日にうるかしておいたにかわをあたためて石膏を塗る。すごくひさしぶりだ。何かとても大切なこと、それらしい言い方をすればものをつくる喜びみたいなものについて思う。
ものをつくる、創り出す、といったことを言うけれど、本当の意味でオリジナルなものがありえないように、無から有をつくり出すことは厳密に言うと不可能だと思う。むろん、だからどう、ということはなく、そんなことなどおかまいなしに「オリジナル」なものは次々に「創り出されていく」わけだけれど、何かそういう流れみたいなものの中にいるだけでなく、その流れの底をながめたいと思う。そういうことと、石膏塗りをすることとはどこか似ている。
たとえば、「何かが在るということ」、あるいは「こう在ってそうはないということ」、私の世界が唯一正しい世界であるように思えてしまうこと、それ以外の世界は「本当の意味」での世界ではないのではないかと言いたくなること、そうしたことの奇妙さ、不可思議さみたいなものについて思うとき、私はそれが流れの底をながめる行為に似ているように思う。