ひと目千本桜とさくら染織美術館

ひと目千本桜

天気がいいので、「ひと目千本桜」として知られる宮城県柴田町へ(毎年の開花情報などはこちら)お花見に出かける。明治のはじめに千本の染井吉野を植えたのがはじまりとのことで、白石川に沿ってえんえんとつづく桜の古木は、視界の中で途切れることがない。
見ごろは先週だったとのことで、今日はすこし散り始めていたのだが、かえって人出もちょうどよくまばらで、この本当にうそみたいな光景を存分に味わってきた。
この「うそみたいな光景」こそが、私がアートとして表現してみたいと思っていることだ。大きな川に沿って何キロにもわたっていっせいに白い花を枯れ木のような枝に(つまり葉のない枝に)盛大につけるなどという「発想」は、私の見てみたいアートそのものである。同じような例が虹であり、雲であり、海であって、あんな巨大なもの、そして何の役にも立たないもの、つまり役に立つ立たないなどとという基準がわれわれの外にあるということを知らしめるものこそが、私が真におもしろいと思えるものだ。
適当に車を走らせていると、実にいいたたずまいの建物に出くわす。その名も「さくら染織美術館」(宮城県柴田郡柴田町西船迫1-1-11 ℡0224-55-3987 開館10:00〜18:00 火曜休館)。呉服屋の「きものと帯 二幸」さんが昨年秋に建てた私設美術館で、呉服のコレクションのほか、美術館のためにオリジナルに依頼してつくった桜の帯や何かが並ぶ。私は中でもこわいほどに強烈な色を発する紅色に心ひかれ、しばらくながめていたのだが、話を聞くと軽トラック3台分の紅花を使ったものだという。つい先週訪れた小布施の町の、商人たちの意気=粋のようなものを、私の住む街の近くにも感じ取ることができたように思った。
いいものを見たい、見せたい、おもしろいことをしたい、みんなにもしてもらいたいという気分。もちろんおもしろさを押しつけるということではなく、そんなものつまらないと言ってもいいわけだけれど、道徳的な意味合いでなく、本当に興味本位で、何があるかわからないことへのあこがれのようなものなら、私は何らかのかたちでひとと共有していけるのではないかと思う。というか、共有していった方がいいのではないかと思う。別にそこにどんな根拠があるわけでもないのだけれど、最近強くそう思うようになった。もしかしたらすぐに気がかわってしまうかもしれないけれど。