2008-02-01から1ヶ月間の記事一覧

椅子を切り出す

船橋に行く前、13日くらいに試作したもの。

「リッチで新しくてブランドに満ちたまちづくり」がしたいし、それを「豊か」だと思っているけれど、実際、お金もないし、根性もないし、みんな年取ってきたしで、そういう「豊かさ」はムリだから、「今あるものを見直す」とか「スロー」とかいうのを「豊かさ…

壁紙を切ってはがして、あるいは絨毯を切って縫い合わせて、椅子や舟をつくる、というのを考える(こちら)。壁紙という動かなさ、確かさのようなものに対してすこし手を加えることで見えてくるもの。解釈の隠喩。試作してみる。フォンタナのように、キャン…

世界の中心化

少し前に、国際教養学部に入りたい、という子どもが、国際関係風の問題をいずれかの立場に立って論述するような英作文が出るから、そうしたことがまとまって載ってる本とかないか、というので「あるんじゃない」と気軽に本屋へ行ってみて、なかなか見つから…

「もとまちアート海廊」ドキュメンタリーが完成

2007年夏、宮城県塩竈市本町通りを舞台に繰り広げられた アート・プロジェクト「もとまちアート海廊(ウォーク)」 これを取材した川崎けい子監督によるドキュメンタリーが このほど完成いたしました。 これを記念し、塩竈の地で上映会を開催いたします。 ど…

他者との出会いの欠如、というよりも回避。まちにとっても、アートにとっても。

文化や教育が「投資」や「保存・保全」を目的に語られる時代は終わった、という風に語ること。何かの余剰物のように語られたりしたことがあった、という風に語ること。

公共性が高く、地域に根ざしたアート、というようなものを考えてみる。一見、それはバーベキュー・パーティのようなものに思えるのではないか。しかし、極私的な問題をとことんまで扱うことで、それが公共的な、普遍的とも言えるようなものに反転する瞬間が…

アートとコミュニティ

そこに住んでいるというだけでつながる地縁的な地域コミュニティにせよ、課題解決型のテーマコミュニティにせよ、それだけを抽象的に想定すると、とても整合的で、合目的的な何かのように感じられてしまう。そうした制御された目的性や必然性にそった流れの…

それはアートだ、とか、アートではない、というとき、それが閉じられたアートを想定しているのか、開かれたそれを想定しているのか、ということが問題なのだと思う。 本質的な、アートなるものがあって、それに近いとか、それとは違うという話は、ほとんど意…