2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧
フットワークの軽さと場づくりのうまさには定評のある千葉県のアートNPO「コミュニティアート・ふなばし」主催による集中講座が2月13日〜16日の日程で行われます。 私も2006年より継続的に船橋でアートを展開してきており、本講座でも2月14日、「まちはアー…
まちにとっての、「なぜアートなのか」という疑問と、アートにとっての、「なぜまちなのか」という疑問は互いに補完的なものだと思う。 まちにせよ、アートにせよ、既存の価値を前提に成立している。それを前提にしながら、それを覆していくところに運動とし…
説得力のある根拠に基づく議論を読みたい。逆に言えば、そういう話をしていかないと。「あやしさ」。イメージで語られる言葉でなく。私はこれをこう考え、こう評価している、その根拠はこれこれで、という話。そこではじめて議論や評価が可能になる。 そのア…
一義化に対する多義化、無意味化、過義化。その手段としてのアート。意味を求める、という行為が、絶対的に優位なひとつの意味や視点を構築したりすることではなく、多義化することであふれていくその豊かさが、アートの鋭さや批評性、知性だと思う。そうし…
不幸がアイデンティティーを基礎づけている、という視点からこれを見てみる。社会の最下層にとどまりつづけることが、逆説的に人間的な優位性を担保する。「売れないものにこそ、価値がある」。 それは、集客を見込めないのではなく、見込まないのだろうか。
結果の予測不可能性を売り物にする。
わくわくしたり、楽しい、おもしろい、すごい、のために、私はやっていたのではなかったか。あれこれ考えて、誰かを驚かせたり、驚いたりすること。わくわくは伝染し、感染する。
すでにお伝えしております「GOTEN GOTEN 2008 アート湯治祭 作品公募」についての現地説明会を実施いたします。これに参加しなくても応募できますし、応募しなくても現地説明会には参加できます。 東鳴子について知りたい、という気軽な感じでけっこうです。…
すすきの絵だけの個展を開く。会場にすすきも植えてインスタレーションを制作したり。
塾の小学生とはじめました。詳しくはこちら。
杜の都仙台の代名詞ともいえる定禅寺通りのけやき並木に毛糸の桜を咲かせた昨年のアート・プロジェクト「けやきに花を」につづく「SENDAI シリーズ」として、やはり仙台といえばこの川、広瀬川に毛糸の天の川をかける「SENDAI 天の川プロジェクト」を考えて…
何が「アート」なのかを「アーティスト」が握っている状況と、「アート」をみんなが読み替えることができる(とわかっている)状況。そこでは、「正しいこと」をした人ではなく、「おもしろいこと」をした人がもっとも「的を得たこと」をしたことになるだろ…
宮城県北部の湯治場・東鳴子で行われている「GOTEN GOTEN アート湯治祭」では参加企画を募集しています。GOTEN GOTEN 2008 アート湯治祭 作品応募要項 http://naruko.gozaru.jp/「GOTEN GOTEN 2008 アート湯治祭」では、作品企画を募集いたします。 宮城県北…
塩竈市港町の現代アート・スペースビルド・フルーガスさんより今年最初の企画のご案内です。 ちょうど森美術館に勤めている私の大学の同級生からもおすすめのメールが届いていました。ぜひうかがいたいと思っています。******************…
私は、個人としての人にあまり関心がないようなのだけれど、集団としての人には比較的興味があるように思う。それがつまり、「まち」なのかと思う。
「わかる」というとき、自分の内部や、文化や常識を共有する共同体や仲間うちの中での、中だから、「わかる」ということがある一方で、他人であったり、理解が共有されていないからこそ起こりうる、「わかる」とがあると思う。 何かが伝わらない、わかり合え…
ある地区の電線をすべてカラーにする。色をたどると
アルプスの画家セガンティーニ風の色合いの毛糸だけを使って、あるスペースを覆う。
子どもたちに、レゴがどれほど世界の(特にアメリカの)おもちゃ市場を席巻しているかを知らされ、レゴで何かできないかと考えている。 伝統ある湯治場の、すでに使われていない2階建ての旅館の壁面をレゴで半分覆い、内部にある湯船もレゴでコーティングす…
自分にとって何が切実な問いか。言い換えれば、自分にとって何がいまだ経験せずにのこされているのか。 私はいったいどうすべきなのか、と、私はどうしてもこうなってしまう、とは、一対のもののように思う。 それがつながる点こそが、私の人生の目的、私は…